🔷聖書の知識81-ヨシュア記注解ーカナンへの侵攻と征服、聖絶思想
そこで民は呼ばわり、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。民はラッパの音を聞くと同時に、みな大声をあげて呼ばわったので、石がきはくずれ落ちた。そこで民はみな、すぐに上って町にはいり、町を攻め取った。そして町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけて滅ぼした。(ヨシュア記6.20~21)
ヨシュア記には、モーセの後を引き継いだヨシュアの指導の下、イスラエル人がカナンに住む諸民族を武力で制圧し、約束の地を征服していく歴史が記されています。この書物は、キリスト教においては「歴史書」に、また、ユダヤ教においては預言書に分類されています。
この書物の原作者は、伝統的には主としてヨシュアが書き(ヨシュア記24.26)、彼の死後の記事をアロンの子エルアザルと孫のピネハスが書いたとされています。しかし、高等批評の聖書学者たちには、モーセ五書にヨシュア記を加えて「六書」と考え、申命記資料(D資料)による書と考えている有力説もあります。
ちなみに、近年、考古学的発掘が行われた結果、エリコの城壁の崩壊はヨシュアの時代前の出来事であることが実証され、ヨシュアたちがエリコに来たときには、エリコはすでに廃墟になっていたという説があります。従って、ヨシュア記6章に記されているエリコの陥落物語は、歴史的事実ではなく、信仰的事実として、後から創作されたとする見解もあります。
また、10章12節~13節に記されている太陽と月の停止の話しは、カナンの民間説話がもとになっていると考えられます。
【ヨシュア記の骨子】
ヨシュア記は概ね、a.カナンの地への侵入(1.1~5.12)、b.カナンの地の征服(5.13~12.24)、c.カナンの地の分割(13~21章)、d.シケム契約とまとめ(22~24章)となっています。
エジプト脱出時に20歳を超えていた者のうち、ヨルダン川を渡ることを許されたのはヨシュアとカレブの2人だけであり、またモーセはヨルダン川を渡ることを許されませんでした。また、ルベン、ガド、マナセの半部族はヨルダン川東岸に定住することになりますが、仲間を助けるためにヨルダン川西岸に渡って共に戦うことをモーセに確約します。
<ヨシュアとは>
ヨシュアは出エジプトの時、およそ40歳であり、モーセは彼の名をホセアからヨシュアに変えました。ホセアは「救い」、ヨシュアは「主は救い」という意味です。
ヨシュアは、エフライム族出身(民13.8)であり、モーセの従者(ヨシ1.1)でした。アマレクとの最初の戦いの指揮を取り(出エジプト17章)、モーセから霊的訓練を受けました(出33.11)。 モーセとともにシナイ山に上り(出32.17)、また12人の斥候の内、彼とカレブだけがよい報告をしました(民14.6~10)。モーセの後継者となったのは、およそ80歳の時で、110歳でその生涯を終えました(ヨシ24.29)。
こうしてヨシュアは、モーセほどのカリスマ性はなかったものの、モーセの精神を受け継いだ優れた後継者でした。
<ヨシュア記の摂理的位置付け>
原理講論によれば、ヨシュア記の摂理的位置付けは以下の通りです。
モーセが磐石を二度打つことによって、モーセはカナンに入れませんでしたが、ヨシュアがこれを引き継ぎました。荒野路程で不信に陥った、外的なイスラエルに属する人たちは、ヨシュアとカレブを除いては、全部が荒野で倒れ、磐石の水を飲み幕屋を信奉する、荒野生活中に出生した内的なイスラエルだけが、モーセの代理であるヨシュアを中心として、カナンに入ったのです(民数32.11~12)。
神はヨシュアに「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。強く、また雄々しくあれ」(ヨシュア1.5)と言われました。
モーセの代理たるヨシュアは、その内的イスラエルの民を彼に従わせ、彼と共に「幕屋のための基台」の上に立たせることによって、磐石の水を中心とする「出発のための摂理」を成就し、この摂理に基づいて彼らがカナンの地に入ることにより、そこで、「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立て、第三次路程のヨシュアを中心とする「実体基台」をつくらせようとされたのでした。
モーセの使命を引き継いだヨシュアは、初臨イエスの使命を継承して「再臨されるイエスを象徴」していると言われています。従って、モーセの精神を引き継いで実体的にカナン復帰するヨシュアの路程は、イエスの霊的救いを引き継いで、霊肉の救いを成就される再臨実体路程に対する予表でありました。
こうして幕屋を信奉する荒野生活中に出生した内的イスラエルは、モーセの身代わりであるヨシュアを中心として忠誠を尽くし、契約の箱を信奉してヨルダン河を渡り、エリコの町を打ち破って、カナンに入ったのでした。このようにして、第三次の民族的カナン復帰路程の「実体基台」がつくられ、その結果としてこの路程の「メシヤのための基台」が造成されることになりました。(以上、原理講論P399)
<渡河命令と斥候の派遣>
モーセの死後、神はヨシュアにヨルダン川を渡るよう命令され、ヨシュアは民にその準備を促し、エリコ偵察のために二人の斥候がエリコに派遣されます。ラビ的伝承によれば、カレブとピネハスがそ斥候であると言われています。
エリコの王は斥候を捕らえようと探索しますが、娼婦ラハブは斥候たちを自分の家に匿って助けました(ヨシュア2.4)。ラハブは、エリコの町が陥落することを信仰によって確信し、イスラエルの神を真の神として信じ恐れていたのです(ヨシュア2.11) 。
その後彼女はユダ族のサルモンと結婚し、ルツを妻にしたボアズを産みました。こうしてこのラハブは、マダイ伝1章の、キリストの系図に名を連ねる4人の女性の一人となりました。
<渡河の奇跡>
いよいよイスラエルは、契約の箱を先頭に立てて、ヨルダン川を渡りました。モーセを導いていた杖によって紅海が分けられたように、ヨシュアを導いていた契約の箱をかつぐ祭司たちの足が川に入った時に、水がせき止められ、岸一面にあふれていたヨルダンの流れが分かれて(ヨシュア3.16)、ついてきたイスラエルの民は、陸地のように河を渡ったのであります(ヨシュア3.17)。 紅海の奇跡では、民は主がモーセを任命されたことを知り、ヨルダン川の奇跡では、主がヨシュアを任命されたことを確信しました。
そしてこの奇跡は何を意味するのでしょうか。杖は、将来来られるイエスに対する一つの表示体であり、二つの石板とマナ、そして、芽を出したアロンの杖の入っている契約の箱は、イエスと聖霊の象徴でした。
それゆえに、契約の箱の前でヨルダン河の水が分かれて、カナンの地に復帰することができたということは、将来来られるイエスと聖霊の前で、水で表示されているこの罪悪世界(黙17.15)が、善と悪とに分立されて審判を受けたのち、すべての聖徒が、世界的カナン復帰を完成するようになるということを象徴的に見せてくださったというのです。(原理講論P395)
<カナンの地の征服>( 5 .13 ~ 12. 24 )
こうしてカナンへの侵攻が始まりました。
先ず中央部、エリコの征服です(6章)。神はヨシュアに詳細な指示を出し、民がその指示通りに行動すると、次の通りエリコの城壁が崩れました、
即ち、兵士、角笛を持つ7人の祭司たち、契約の箱、兵士、その他の民の順でエリコの攻略が始まりました。最初の6日間は町の回りを日に1度回り、7日目は7度回りました。7度目に祭司たちが角笛を長く吹き鳴らし、それを合図に民は、一斉に大声で鬨の声上げました。すると城壁が崩れたというのです。そして文字通りジェノサイドが行われました。
(ヨシュア6.26)
エリコ城の陥落(ジェームズ・テソ画)
この記述は、将来、イエスの権能とその聖徒たちとによって、天と地との間をふさいでいたサタンの障壁が崩れてしまうことを見せてくださったというのです。それゆえに、この城壁は、再び築きあげてはならないと神は言われました。(原理講論P398)
従って、この説話は、歴史的事実というより、信仰的事実として理解されるものであると思われます。
次に南部征服です(9~10章)。ヨシュアはギブオン人との同盟(9章)するも裏切られます。しかし「アモリ人の五人の王」がギブオンを攻めたとき、ギブオン人はヨシュアに助けを求め、ヨシュアは、ギルガルからギブオンに急行し、敵を打ち破りました。太陽と月がまる1日動かなかった奇跡は、この時の話です。
「主がこの日のように人の訴えを聞き届けられたことは、後にも先にもなかった。主はイスラエルのために戦われたのである」(10.14)とあります。
こうしてヨシュアは、ヨルダン川西岸の都市ギルガルから地中海沿岸の都市ガザに至るまで、また、その南方に広がる荒野に至るまでの地域に点在する諸都市を滅ぼし家畜などを奪っていきました。
更に北部に侵攻し(11章)、北部連合軍にも勝利しました。こうして征服が終わって戦いの総括をすることになります。(11.6~12.24)
このようにヨシュアは、ベテホロンの戦いにおける十九王と、メロムの激戦における十二王を合わせて、三十一王を滅ぼしたのですが(ヨシュア12.9~24)、これも、イエスが王の王として来られ、他国の王たちをみな屈伏させて、その民を救い、地上天国を建設されるということを前もって見せて下さったというのです。
<土地の分割>
そして征服した領地の分割が13章から21章に記載されています。分割は「くじ引きで割り当てられた」と聖書にあります。
「主がモーセによって命じられたように、くじによって、これを九つの部族と、半ばの部族とに、嗣業として与えた」(ヨシュア14.2)
「ユダの人々の部族が、その家族にしたがって、くじで獲た地は、南の方では、エドムの境に達し、南のはてにあるチンの荒野に及んでいた」(ヨシュア15.1)
「こうして国の各地域を嗣業として分け与えることを終ったとき、イスラエルの人々は、自分たちのうちに、一つの嗣業を、ヌンの子ヨシュアに与えた。これらは、祭司エレアザル、ヌンの子ヨシュア、およびイスラエルの子孫の部族の族長たちが、シロにおいて会見の幕屋の入口で、主の前に、くじを引いて分け与えた嗣業である。こうして地を分けることを終った(ヨシュア19.49~51)
<シケム契約>
ヨシュアは全イスラエルをシケムに集め、彼らに神の言葉を伝え、戒めを守るように促しました。民はヤハウェに仕えることを誓い、こうしてヨシュアは、神の代理人として、あるいはイスラエルを代表して、イスラエルの12部族とシナイ契約の更新とも言うべき「シケム契約」を結びました。(ヨシュア記24.16~24)
ヨシュアはこれらの言葉を神の律法の書にしるし、その契約の証拠として大きな石が立てられました。
「ヨシュアはまた言った、『それならば、あなたがたのうちにある、異なる神々を除き去り、イスラエルの神、主に、心を傾けなさい』。民はヨシュアに言った、『われわれの神、主に、われわれは仕え、その声に聞きしたがいます』(ヨシュア記24.23)
こうしてヨシュアは、その日、民と契約をむすび、シケムにおいて、定めと、おきてを、彼らのために設けた。ヨシュアはこれらの言葉を神の律法の書にしるし、大きな石を取って、その所で、主の聖所にあるかしの木の下にそれを立てた」(ヨシュア記24.23~26)
【聖絶思想について】
さて、最後にヨシュア記の最も特徴ある思想について語っておかなくてはなりません。それは「聖絶」という思想であります。この意味については、既に「聖書の知識78」(レビ記注解)において論評いたしましたが、改めて確認しておきたいと思います。
<聖絶とは>
「聖絶」(ヘレム)とは神のために完全に分離するという意味で、本来、聖という言葉には、選り分ける、区別する、分離するといった意味があります。
聖絶とは、端的に言えば異教的なもの、サタン的なものから、いかに「分離分別」されて、完全に聖にして神に仕えるものになるかということであります。あるいは聖なるものとなるための「儀式作法」であります。従って「聖戦」とは政治的概念ではなく、宗教的概念であり、イスラエルの民は、裁きをもたらす神の器として用いられたというのです。
<ヨシュア記の聖絶物語>
多くのキリスト教の牧師や神父は、あまりヨシュア記に言及したがりません。そう言えば筆者も、今までヨシュア記から引用した説教を聞いたことがありません。何故なら、ヨシュア記はイスラエル民族によるカナンの地の征服物語であり、先住民を皆殺しにして約束の地カナンを征服する凄惨な物語であるからです。
つまり、ヨシュア記は大量殺害、皆殺し、ジェノサイド(抹殺行為)の連続で「愛と平和の対極」にある物語に見えるからであります。しかし、この物語を読み解く秘訣は「皆殺しを、愛と平和の対極ととらえるのではなく、それらは分かち難く表裏一体を成していると理解することだ」というのです。(東京農工大教授松下博宣)
ヨシュア記には、下記に引用するように、すさまじいまでの大量殺害に満ちあふれています。
「七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。ときの声をあげよ。民が角笛を聞いて,一斉にときの声をあげると、城壁が崩れ落ち,民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も,若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼしつくした」(ヨシュア記6.16~21)
「イスラエルびとは、荒野に追撃してきたアイの住民をことごとく野で殺し、つるぎをもってひとりも残さず撃ち倒してのち、皆アイに帰り、つるぎをもってその町を撃ち滅ぼした。その日アイの人々はことごとく倒れた。その数は男女あわせて一万二千人であった。ヨシュアはアイの住民をことごとく滅ぼしつくすまでは、なげやりをさし伸べた手を引っこめなかった」(ヨシュア記8.24~26)
「五人の王がヨシュアの前に引き出されると,ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、彼らと共に戦った兵士の指揮官たちに、『ここに来て彼らの首を踏みつけよ』と命じた。彼らは来て,王たちの首を踏みつけた。ヨシュアは言った。『恐れてはならない。おののいてはならない。強く雄々しくあれ。あなたたちが戦う敵に対して,主はこのようになさるのである』。ヨシュアはその後、彼らを打ち殺し、五本の木にかけ、夕方までさらしておいた」(ヨシュア記10.22~26)
<神の聖絶命令の意味>
もし敵が降伏しないなら、神は聖絶を命令されました。
「しかし、あなたの神、主が相続地として与えようとしておられる次の国々の民の町では、息のある者を一人も生かしておいてはならない。すなわち、ヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神が命じられたとおり、必ず聖絶しなければならない。それは、彼らが、その神々に行っていたすべての忌みきらうべきことをするようにあなた方に教え、あなた方が、あなた方の神、主に対して罪を犯すことのないためである」(申命記20.16~18)
こうして神が「聖絶する」ことを民に命じたその真意は「神の民が聖を失って、他の異教徒の国々のように、神が忌みきらうことをするようになってしまわないため」だというのです。神は聖絶によってイスラエルの民が、異邦人と同化することを防ごうとされたのです。
つまり「聖絶」とは、神の「聖」を民に意識させて、それを守らせる戦いだったのです。そしてこれらのオーバーとも見える聖絶の表現には、いわゆる「ユダヤ誇張法」があると言ってもいいでしょう。
また聖絶には「神のものを人間が自分のものとして横取りしてはならない」という意味もあり、自分のために取り分けて所有してはならないということ、即ち完全に神のものとして献げる行為が「聖絶する」という本来の意味でもあります。
以上、ヨシュア記を見て参りました。ヨシュアは再臨のイエスの模擬的な摂理的人物であり、その予表でありました。またヨシュア記は、エジプトから贖われた民がカナンを征服し、士師記において攻略し定着していく、いわば架け橋のような位置付けにある書であります。次回はカナンに入ったイスラエルが、その後、どうなっていくのかを士師記において見ていきたいと思います。(了)