◯つれづれ日誌(令和5年1月4日)-元旦顛末記ー年末年始の残念なUCバッシング
愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。しるして「主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん」(ロマ書12.19)
令和5年が始まりました。改めて明けましておめでとうございます。 さて筆者は元旦の朝、青葉台家庭教会で新年の祈祷をしたいと思いましたが、あいにく元旦は閉鎖されており、思うところがあり、再度松陰神社に参拝いたしました。
松陰神社に行ったのは、他界された安倍晋三さんにそこで会えるのでないかと思ったこと、そして今度1月21日に予定している拙著『異邦人の体験的神学思想』出版記念会は、ちょっと大袈裟なようですが、筆者自身の功山寺決起のような気がして、吉田松陰と高杉晋作にあやかりたいと思ったことでした。
それにしても、あの幕末維新の歴史を知るにつけ、あの明治維新の成功は、神が日本を再臨摂理に召さんがために、霊妙なご計画の中で導かれたものと、ひしひしと実感せざるを得ないものがあります。
松陰神社で一句。
初春に松陰神社を訪れて故人の思いしばし偲ばる
【年末、年始の日本の風景】
ところで、年末、年始の日本の風景ほど日本的なものはありません。12月25日のクリスマスはイエスの誕生を記念するキリスト教の礼拝、大晦日の除夜の鐘は仏教行事、そしてお正月は「歳神様」(としがみさま)を迎えるための神道の作法です。そもそも、大晦日・お正月という慣習は、日本文化に古くからある「歳神様」への信仰に基づく儀礼から生じていると言われています。一年を司る歳神様を新年に迎えるために、大掃除をしたり、門松を立てたり、供え物のお節料理を作ったりして準備をするというのです。
こうして年末年始は、キリスト教と仏教と神道が違和感なく一体となって日本人の生活習慣の中に溶け込んでおり、これこそ、鈴木大拙が命名した「日本的霊性」(基層的宗教意識)、山本七平流に言えば「日本教」ということになるでしょう。山本七平は日本にあるのは日本教であって、キリスト教も仏教も神道も、日本教キリスト教派、日本教仏教派、日本教神道派である、即ち、現住所はキリスト教であり、仏教であり、神道であるが、本籍は皆日本教であると指摘されました。確かに、この指摘は当たらずとも遠からずであります。
筆者の定義によれば、日本的霊性(日本教)とは、「自然を崇め、先祖を尊び、清浄を好み、和を重んじる宗教的精神性」ということになります。
【元旦の顛末】
さて、上述したように、松陰神社に参拝したあと、帰途、はからずも一人の老婦人に出会うことになりました。この婦人曰く、「いつも元旦には三社参りをしているのよ」と。筆者が「三社参りとは何ですか」と尋ねたところ、地元世田谷にある著名な寺社のことで、松陰神社、豪徳寺、世田谷八幡宮のことだということでした。
<三社参り>
筆者は好奇心も手伝って、早速道を聞き、先ず徒歩で曹洞宗の「豪徳寺」を訪ねました。豪徳寺は、彦根藩井伊家の菩提寺であり、隣接して井伊家の広大な墓所があり、そこには「安政の大獄」を行い、桜田門外で水戸藩浪士に暗殺された「井伊直弼」の墓がありました。
安政の大獄(1858年~1859年)とは、大老井伊直弼や老中間部詮勝(まなべかつあき)らが、勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し(違勅調印)、また将軍継嗣を水戸藩や薩摩藩ら一ツ橋派の反対を押し切って紀伊の徳川家茂に決定したことなどに反対する者たちを弾圧した事件であります。 特に井伊直弼は、孝明天皇が幕政改革を指示する勅書を幕府の頭越しに直接水戸藩に下賜した事件、即ち「戊午の密勅」(ぼごのみっちょく)を大問題として、これに関わる者を弾圧し処断しました。弾圧されたのは水戸藩や梅田雲浜などの尊王攘夷派や、一橋派の大名・公卿・志士らで、連座した者は100人以上にのぼり、そしてこの安政の大獄に連座して「吉田松陰」も処刑されました。
つまり、処刑された吉田松陰と処刑した井伊直弼の墓が、ほんの十数分の徒歩の距離にあったことに驚くと共に、両人の和解、恩讐の解消のために一時祈らざるを得ませんでした。
そして、やはり隣接する三社最後の「世田谷八幡宮」を訪れましたが、ここでは神主の本格的な「お祓い儀式」の場面を目撃しました。神主によると、祭神は「応神天皇」で、御神体は「鏡」ということでした。
こうして筆者は、はからずもあの老婦人のように、元旦に三社参りを果たしたことになりました。筆者は現下のUCバッシングの意味を訪ね求めると共に、これら故人の英霊がUCとその信徒を加護されんことを熱く祈った次第です。
<渋谷山手教会の礼拝>
筆者は三社参りを済ませたあと、お目当てのキリスト教会の礼拝に参加いたしました。渋谷山手教会です。当教会は、渋谷「公園通り」にある、日本基督教団の教会で、1966 年に現在の会堂が建てられた歴史のあるプロテスタントの教会です。神社と寺を参拝したあとの礼拝は、何か禊(みそぎ)と祓い(はらい)を受けるような気がして、使徒信条や主の祈りを唱える中で聖書的霊性が蘇ってきました。やはり、キリスト教の霊性は神社や寺とは、心なしか一味違うものを感じたものです。
さて、締めくくりに、 禊と祓いのとどめをするべくUC松涛本部を訪問しました。あいにく元旦はクローズされており、玄関でしばしの黙祷をしたあと、疲れ果てて近くの蕎麦屋てそばの恵みに与った次第です。ちなみにある姉妹から、「吉田さん、 本末転倒よ。先ず最初にUCの教会で礼拝すべきでしょう」との苦言を頂く羽目になりましたが、正に至極もっともなことであります。
以上が元旦の顛末でした。
<日本的霊性の不思議>
冒頭で、「年末年始は、キリスト教と仏教と神道が違和感なく一体となって日本人の生活習慣の中に溶け込んでおり、これこそ日本的霊性(日本教)である」と述べましたが、これは元旦に出会ったあの老婦人や今朝の筆者の行動に象徴されています。
もちろん筆者には原理という究極の霊的武器で防備されているため、良き霊界と悪しき霊界の分別ができるため、悪しきを避けて良きものだけを取り入れることができますので、夢夢、偶像崇拝に陥らずに守られています。しかしかの老婦人などは、そのまま日本的霊性の良きも悪しきも受けているわけで、実にこれが日本的精神性や倫理観の現実なのだと納得しました。この多神教的な霊性は、ともすれば現下のマスコミのように、神なき世俗的ヒューマニズムに陥りやすい傾向性があります。
やはり、日本的霊性に唯一神という眼をいれなければならない、即ち、松陰神社の御神体に脇差ではなく聖書を、世田谷八幡宮の御神体に鏡ではなく原理講論を安置することが急務です。
【年末年始に起こったゆゆしき出来事】
さて以上のような実りある元旦でしたが、年末年始に、捨てておけない残念な発言が二つありました。
<A氏の記者インタビュー>
一つは、12月28日にTBS(BS)テレビで、古参信者(以下、「氏」と呼ぶ)の記者会見の内容が放映されたことです。見る気もありませんでしたが、寄せられる情報によれば、ひどいことを言ったらしく、多くの方から筆者の見解を聞きたいという声が届きました。そこで、しっかりテレビ発言を視聴した上、ある信徒に筆者の見解をまとめて書き送りました。以下はその率直な私の回答文です。
〔回答文〕
氏曰く、「厳しい献金の要請は文先生の強い命令だった」「文先生は反日主義」「日本人の贖罪意識を利用してきた」「日本人が金を出して、それを湯水のように使うのは韓国人」「超党派調査団を韓国に派遣し徹底調査すべき」等々。
筆者の第一印象は、「これじゃ、戦場で後ろから鉄砲を撃つようなものじゃないか、死人に釘打つとはこのことだ」というものでした。そして一部の氏のシンパを除いて、大多数の心ある食口を更に傷つける結果になりました。百歩譲って、氏なりの信念から出たものだとしても、時と場所をわきまえるべきで、もし正気なら万死に値するとはこのことです。
つまり、本人としては、「教会改革のためのやむにやまれぬ思いで一石を投じた」ということかも知れませんが、結果として鈴木エイトなど反対派にエールを送ったことになりました。また中には、「よくぞ言ってくれた、教会の抜本改革に追い風となる」「TBSが取り上げてくれてありがたい」などといった的外れの声もあるようですが、マスコミはそんな甘いものではなく、予想通り発言の一部だけを切り取って報道されて独り歩きし、結果的に左翼マスコミのUC叩きに格好の材料を与えて、利用されたことになりました。やはり氏はマスコミにはめられたのでしょうか。
特に許せないのは、UC創始者を「反日主義者」と公の場で呼ばわり、「超党派調査団を韓国に派遣し調査する必要がある」などと、左翼でも言わない私怨とも思える発言をしたことで、これは動機や意図がどうであれ、結果的に取り返しのつかない発言となりました。
創始者は反日どころか、愛日家であり、それ以上に徹底的な世界主義者であることは明らかであり、このことは「つれづれ日誌(令和4年9月7日)-文鮮明教祖の日本観と韓国観及び世界主義-UC教義に自虐史観はない」で明記しています。残念ながら、氏は、メシアの本質を誤解して見失ってしまったというしかありません。誤解を恐れずに申せば、筆者には、氏の高慢さからくる思い込みと、自己顕示欲から出た身の程知らずのインタビューとしか思えませんでした。今回のTBSの一件で墓穴を掘っただけでなく、最後に本音が出て一線を越え、氏の信仰人生を棒に振ることになりかねないことになりました。憤りを超えて哀れというしかなく、氏のために祈ります。
なお、これは大した影響などありません。あの小川さゆりさんの虚言と同類で、アウトローになり果てた老人が言う妄言など誰もまともに受け止めないでしょう。但し、韓国至上主義の反日団体というマスコミのレッテル貼りに追い討ちをかけ、(アメリカを始めとする世界宣教のためではなく)韓国自体に金銭が貢がれているといった誤った認識を、更に助長することになったことは決して軽視できません。UC当事者の早急な善処を期待します。以上
さて、上記の筆者の一文は、氏のシンパから、強いお叱りを受けるかも知れませんね。反論は歓迎いたします(→h-yoshida@coda.ocn.ne.jp) 。ただ筆者としては、多くの悩める信者の皆さんからの問い合わせに、答える義務があるということで、敢えて見解を公表するものです。そして前記の筆者の回答文について、信頼できる食口から次のようなコメントを頂いていますので、参考に記しておきます。
「全くアージュです。言いたいことみんな言っていただきありがとうございました」
「私もテレビ報道見ました。本当に憂慮すべき発言でした。超党派で 調査團を派遣すべきとの発言には驚きでした」
「アージュです。親の心子知らずとはこのことで、反韓もあそこまでとは思いませんでした。食口としての一線を越えてしまったのではないかと残念です」
「一言で言うと、ひどかったということに尽きると思います。『文先生は反日で、戦前の日本の行いを贖罪するように莫大な献金を要求した』等々。残念ながら、イエスの弟子のユダのようになってしまった。元教会長の知人によると、『彼は、以前、文先生が本当にメシアだったのかどうかを疑っていた』とのことでした」
<日弁連会長の年頭あいさつ>
さてもう一つの由々しき発言は、日弁連会長小林元治氏の年頭あいさつです。
この年頭あいさつは、始めから終わりまで、文字通り旧統一教会問題一色で、いかにも常軌を逸した偏ったあいさつ文でした。
曰く、「霊感商法等の被害者救済への抜本的かつ実効的な解決策の構築に向けて、国の取組とも連携協力していくことを表明しました」「日弁連として、霊感商法等の被害に関する無料法律相談の受付を2022年9月5日から開始しました」「旧統一教会に対しては質問権が行使されており、今後、その結果を踏まえた政府の対応等も注視していく必要があります」「日弁連の無料法律相談に寄せられた被害相談に対応しつつ、必要な法的手続については、全国統一教会被害対策弁護団とも連携を取り、実効的な被害の救済及び防止に向けて取り組んでまいります」
つまり、上記の通り、年頭あいさつの全文が、旧統一教会の問題に終始しており、天下の日弁連会長の年頭あいさつとしては、あまりにお粗末なもので、もっと日弁連として為すべき建設的な抱負がないのかとの疑問を持たざるを得ません。まさに日弁連のリベラル化(左傾化)した実体と、品位の欠如が露呈された一文で、法治国家の番人を自称する日弁連の致命的な欠陥を実感しました。
以上、元旦の爽やかな寺社教会巡りとは裏腹に、上記二つの年末年始の出来事は、筆者をしばし憂愁の中に追いやりました。しかし筆者は、次の聖書の言葉を想起し、せめてもの安堵を得たものです。
「愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』と書いてあるからである」(ロマ書12.19)
【本年をリバイバル元年に!】
さて、2023年はどのような年になるのでしょうか。いや、どのような年にすべきでしょうか。2023年は十干十二支でいうと「癸卯」(みずのとう)となり、癸卯は、「これまでの努力が花開き、実り始めること」といった縁起のよさを表しているらしいです。
筆者は令和5年を「リバイバル元年」にしたいと祈念しています。 そして、天地を創造された唯一の愛なる神、この「父母なる神」と「神の言葉」に回帰すること、これがリバイバルの一丁目一番地だと信じます。
「患難汝を玉にす」という言葉があります。これは、「試練は人を成長させる養分になる」といった意味で、かの西郷どんが親しんだ言葉であります。正に試練は人間を成長させる糧となり、組織を変える力になるというのです。次の「患難を希望に」という一句を以て、年頭の締めくくりにいたします。
「 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである」(ロマ書5.3~4) (了)