🔷聖書の知識135ー新約聖書の解説⑧ーコリント人への第二の手紙
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである(12.7~8)
「コリント人への第二の手紙」(以下、「2コリント」とよぶ)は使徒パウロと協力者テモテからコリントの教会の共同体へと宛てられた手紙で、先立って書かれた第一の書簡の続編であります。同書は、第一に比してさほど注目されない書です。なお、コリントに向けて書かれた手紙は、この二書の他に「前の手紙」「悲しみの手紙」があるという説もあります。
【概観】
「コリント人への第一の手紙」を記した後、パウロは小アジアの都市エペソを離れてマケドニア州へ向かうことにしました。エペソでの宣教活動は成功を収めましたが、それがためにパウロは反対者の活動によってエペソにいることが難しくなっていました。
エペソから陸路トロアスへ到着したパウロはそこから海路、マケドニア州へ入るつもりでした。
第一の書簡を運んでコリントへ行っていたテトスとマケドニアのビリピでテトスと再会することが出来、パウロはテトスからコリントの共同体の状況について聞くことができました。
この書簡は、マケドニアのピリピで57年ころ書かれたものと思われ、この手紙をコリントへ届けたのはおそらくテトスでした。
第一の手紙との違いは、この手紙はコリントの共同体のメンバーのみならず、アカイア州の全域の共同体に宛てられた書簡であるという点であります。
【構成・内容】
全体の構成と内容は以下のとおりです。
1章~7章―パウロの内面的試練、新しい契約の奉仕者、主の霊の働き、コリントの信徒たちへの愛情と励まし。
6章10節には次のような言葉があります。
「悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている」
8章~9章 ―慈善の業のすすめ、特にエルサレムの共同体への自発的な支援(献金)の願い。
10章~13章― パウロの使徒職を疑う者たちへの応答・弁明、偽使徒への警戒、パウロ誇りと受難、霊的体験、パウロの咎(10~12章)、コリントの信徒への配慮、結びのあいさつ。(13章)
11章にはパウロの人生における困難の数々がリストアップされ、第12章では「第三天まであげられた」という神秘体験についての証しがあり、そして自分に与えられた「とげ」(持病)について述べ、「弱さこそ誇り」と語っています。
以下は、11章、12章の注目聖句です。
・パウロの受難
「苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった」(11.23~27)
・第三の天の体験
「主のまぼろしと啓示とについて語ろう。わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである―― パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている」(12.1~4)
・パウロの刺(とげ)
「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである」(12.7~8)
このように、この書簡では他のどれよりもパウロが自分自身について多く語っており、珍しく 自己宣伝をしています。また神学を語る教師としてではなく、むしろ牧会者として、コリントの信徒に対するパウロの愛と気遣いを示しています。使徒行伝20章2節によればパウロはこのあと、コリントを訪れて三ヶ月訪問し、同地で「ローマの信徒への手紙」を執筆しています。
以上、1コリント書を解説しました。次回は「ガラテヤ人への手紙」を解説いたします。
ガラテヤ書は、異邦人キリスト教徒が律法をどう考えればいいかという問題を扱っており、「ローマの人への手紙」とならんでパウロの神学思想がもっとも示された書簡であります。(了)
上記絵画*聖パウロ(ポンペイオ・バトー二画)