◯徒然日誌(令和6年11月27日) アメリカの「感謝祭」(Thanksgiving Day)に思う-「感謝」の意味を考える
また、あなたが畑にまいて獲た物の勤労の初穂をささげる刈り入れの祭りと、あなたの勤労の実を畑から取り入れる年の終わりに、取り入れの祭を行わなければならない。(出エジプト記23.16)
プロローグ
明日11月28日はアメリカの感謝祭(Thanksgiving Day)であり祝日である。アメリカでは毎年11月の第4木曜日に行われ、日本のプロテスタントでは、収穫感謝日と呼んでいる。
キリスト教の三大祝日は、降誕祭(クリスマス)、復活祭(イースター)、聖霊降臨祭(ペンテコステ)であるが、感謝祭は特別にアメリカとカナダで祝われている。何故なら、感謝祭はアメリカの建国の基となったピルグリム・ファーザーズ(巡礼の始祖)の最初期の出来事に起源を持つからである。即ち、アメリカにおける感謝祭は、1621年にイギリス国教会から迫害されたピューリタンの入植者と、原住民のワンパノアグ族が、初めて共に祝った「収穫の祭り」に起源を持つ。
【感謝祭の起源】
ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)とは、1620年に信仰の自由を求めてイギリスから北アメリカに移住したピューリタンたちであり、「巡礼の始祖」と呼ばれている。メーフラワー号で北アメリカに渡り、現在のマサチューセッツ州プリマスに上陸してニューイングランド植民地を開拓した。
<ピリグリム・ファーザーズの北米大陸移住>
エリザベス女王(在位1558~1603)の後を継いだスコットランド出身の長老派ジェイムズ国王は、意に反して国教会体制の強化を図った。国教会を強制するジェームズ1世に迫害された人々の中に、後日「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれる国教会から離脱した分離派のピューリタン(清教徒)の人々がいた。即ちロンドン北東の寒村「スクールビ」の人々であり、1607年、ジョン・ロビンソン牧師の指導のもとに海外移住を決意したのである。
なお、ピューリタンとは、スイスを拠点に宗教改革を行ったジャン・カルバンの考え方を支持するカルバン派(改革派)の人々である。「ピューリタン」と呼ばれるようになったのは、イギリス国教会の考え方の中に、未だにカトリック的な考え方が混ざっていて、その残存物を浄化するように要求したことに由来する。「浄化する」という動詞は英語で「Purify」で、残存物を浄化する人々という意味で「Puritan」(ピューリタン)と名付けられた。またPurifyには清潔・清楚を意味する言葉でもある。
ピルグリム・ファーザーズの最初の移住先はカルバン派プロテスタントの新興国オランダで、彼らはオランダのアムステルダムに隣接するライデンに12年に渡って移り住んだ。しかし、オランダも彼らの安住の地とならず、 さらなる理想の地を求めて新大陸アメリカへの最移住を決意したのである。彼らは自らを「天を仰ぎ見る巡礼者」と呼んだ。彼らは、1506年に始まったヴァージニア植民地の成功の話に学び、1920年9月、102名(ビリグリム41名+投資家・乗組員)がメイフラワー号に乗船し、イギリスのプリマス港を後にして新大陸へ向かったのである。総勢102名で、その内の41名がピューリタンだったといわれている。
乗船した41名はピューリタンの家族たちで、彼らは「神との契約」を守るため、新天地で理想の社会を構築し、宗教的に規律ある生活をしていきたいと望んでいた。ピューリタンの 唯一の目的は「新天地に新たな宗教社会(国家)を建設すること」であり、それゆえに神との契約を最優先させる生活をおくることを理想としていた。つまり、先ず神のための教会を建て、次に子孫のための学校を建て、最後に自分たちのための掘っ建て小屋を作ったのである。
彼らは北米大陸プリマス上陸直前の11月11日、 ピューリタンとよそ者と言われる乗組員は、「契約と法に服従する」ことを誓った契約神学に基づく政治社会契約である「メイフラワー誓約」を交わし、41名が署名した。「神の名において、公正で平等な法、条例、憲法や役職をつくり、それらに対して我々は当然の服従と従順を約束する」と書かれているこの文書は、移民国家(多元国家)アメリカの「アメリカ型契約社会の原型」と言われている(森本あんり著『アメリカ・キリスト教史』(新教出版社P29) 。メイフラワー契約の冒頭には次のように書かれている。
メイフラワー号の出帆 メイフラワー号での誓約 ピューリタンのアメリカ上陸
「神の栄光とキリスト教信仰の振興および国王と国の名誉のために、バージニアの北部に最初の植民地を建設する為に航海を企て、開拓地のより良き秩序と維持、および前述の目的の促進のために、神と互いの者の前において厳粛にかつ互いに契約を交わし、我々みずからを政治的な市民団体に結合することにした」
ピューリタンは41名(男17名)だけだったが、しかし、アメリカでは1620年のプリマス上陸から建国の歴史が始まると意識されており、彼らが上陸したとされる日は「先祖の日」として祝宴が開かれ、また彼らが先住民とともに最初の収穫を祝った日は「感謝祭」(11月第4木曜日)として連邦の祝日とされている。
なお、本国イギリスでは、1625年にチャールズ1世が王位に就くとピューリタンへの弾圧はさらに高まり、プリマスや周辺のニューイングランド地域への入植数は増加し、ピルグリム・ファーザーズが入植した1620年から1630年までの間に2万人を超える移民がイギリスから移住してきた。これらの人々はWASPと呼ばれるアメリカの骨格を形成した。
<感謝祭>
さて、1620年12月21日、厳寒のプリマスに入植したピルグリム・ファーザーズだったが、イギリスから持ち込んだ野菜や小麦の残りは十分ではなく、厳しい寒さもあって、その年の冬を越すまでに半数ほどが病死した。しかし幸運なことに、彼らは親切なインディアン(先住民ワンパノアグ族)に出会い、ピリグリムに食べ物を与え、この土地で生き残る方法(家畜飼育法・トウモロコシ栽培法)を教えてくれた。翌年の秋には、先住民ワンパノアグ族から教えられたトウモロコシなどの栽培によって冬を越すことができたのである。
そして1621年、最初の冬を生き延びた人々が、収穫の感謝の気持ちを神に捧げるために、ワンパノアグ族を招き、共にその収穫祝う盛大な感謝の祝宴を行ったのである。これがアメリカの感謝祭の起源であり、その後、アメリカの神話的な物語へと発展していった。
この祝宴は数日間にわたり、ピルグリムたちは七面鳥やガチョウなどの鳥肉を準備し(これが、感謝祭に七面鳥を食べる由来になる)、ワンパノアグ族は鹿肉を提供した。ピリグリムが苦境にいた時、インディアンが彼らの生活を助けたのである。(しかし後年、土地譲渡を巡る食い違いなどから、インディアンと移住者は対立状態になる)
感謝祭は、人々が豊作の収穫期を祝い、子孫に充実した人生を与えてくれた神に感謝する日であり、家族や親戚と集まって食事をしたり、お互いに感謝しようという気持ちを持ちながら過ごす日である。感謝祭の定番の料理には、ローストターキー(七面鳥)、クランベリーソース、マッシュポテト、パンプキンパイなどがある。
こうして感謝祭から始まる「植民地時代」 (1620年~1767年)はピューリタンの時代であり、「ほとんど神学的とも言える信念によって建てられた、世界でただ一つの国」と言われている。(森本あんり著『アメリカ・キリスト教史』新教出版社P5)
<神嘗祭・新嘗祭>
さて日本では、収穫感謝祭として「神嘗祭」(かんなめさい)と「新嘗祭」(にいなめさい)が知られている。また戦後は、働く人々を感謝する日として「勤労感謝の日」が祝われている。この11月23日は勤労感謝の日だった。
神嘗祭は毎年10月17日に五穀豊穣を祝う宮中祭祀のひとつであり、宮中および伊勢神宮で祭祀が行われる。神嘗祭は、その年に収穫された新穀(初穂)を天照大神に奉げる感謝祭にあたる。
また新嘗祭は、毎年11月23日に宮中や全国の神社で行われる「収穫感謝の祭典」で、天皇陛下がその年に収穫された新穀を天照大神をはじめとする神々にお供えし、神の恵みを感謝し、五穀豊穣を祈願する。宮中では天皇陛下が自ら育てた新穀を奉り、自らもその新穀を召し上がる。新嘗祭の起源は古く、古事記や日本書紀に天照大御神が新嘗祭を行ったことが記されている。
収穫感謝のお祭りが11月下旬に行われるのは、全国各地での収穫が終了する時期に行われたためと考えられている。また、新嘗祭のうち新天皇が即位して最初のものを「大嘗祭」(だいじょうさい)という。戦後、新嘗祭は、1948年に「勤労感謝の日」に装いを改めて国民の祝日となった。
以上見てきたように、アメリカの感謝祭も、日本の新嘗祭も、秋の収穫を神に感謝するという共通項がある。ユダヤ教でも三大祭り(過越の祭り・7週の祭り・仮庵の祭り)があり、過越しの祭りの期間中、神殿には大麦が添えられ、7週の祭りには小麦の収獲を祝う意味がある。このように、ユダヤ教の祭り、アメリカの感謝祭、日本の新嘗祭は、収穫を神に感謝し、初穂を捧げるという意味があり、聖書は次のように記している。
「また、あなたが畑にまいて獲た物の勤労の初穂をささげる刈り入れの祭りと、あなたの勤労の実を畑から取り入れる年の終わりに、取り入れの祭を行わなければならない」(出エジプト記23.16)
しかし、詩篇51篇には、「あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげても、あなたは喜ばれないでしょう。神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません」(51.16~17)とあり、神の前に「砕けた悔いた魂」こそ最良の供え物であることを忘れてはならない。
【感謝の意味について考える】
前述してきた通り、今週は日本の「勤労感謝の日」(11月23日)とアメリカ「感謝祭」(11月28日)が重なり、このような節目を通して、それが神への感謝であれ、人への感謝であれ、収穫への感謝であれ、「感謝」することの大切さ、そして感謝を「形にする」ことの大切さを教えられる。
旧約聖書の詩篇136篇は、全篇がまさに神への感謝の歌であり、その1節には「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」とある。また詩篇69篇には「わたしは歌をもって神の名をほめたたえ、感謝をもって神をあがめます」(詩篇69.30)とある。更に新約聖書にも「絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(テサロニケ15.16~18)とあり、また「わたしは、祈りの時にあなたをおぼえて、いつもわたしの神に感謝している」(ピレモン1.4)とある。
このように聖書は至るところで、神に感謝することの大切さを説いている。感謝は先ず神への感謝から始まり、次に人へ、更に自然万物へと広がっていく。また自分自身の存在そのものが、「生かされている」ということへの感謝に満たされなければならない。そして筆者は、何よりも日本の社会と国家に特別の恩恵と感謝を感じている。筆者は、数年に渡る寝たきりの配偶者の介護を通じて、日本の福祉制度の素晴らしさ、きめ細かさを身に沁みて体験し、日本に生まれたことの幸いを深く感謝した。筆者はこの日本に恩返しをしなければならない。
では感謝はどこから生まれてくるのだろうか。それは「悔い改め」からである。罪の自覚がなければ悔い改めは生まれて来ないし、悔い改めがなければ感謝は生まれない。そして感謝がなければ悔い改めることは出来ない。まさに悔い改めと感謝は表裏一体であり、聖霊により与えられる謙虚さの象徴である。信仰者にとって、悔い改めと感謝は「信仰の一丁目一番地」であり、恨みを恵みに変える力である。水や空気のように、それがなければ生命は枯渇するのであり、これが感謝の信仰的意味である。
ヨブ記のヨブは、あらゆる艱難と試練を受けたが、全能の神と出会って悔い改め(ヨブ記42.1~6)、全ては感謝に変えられた。悔い改めと感謝の心さえあれば、どんな試練も全知の神が私たちと共にいて、それを乗り越えさせて下さる。「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ」(ピリピ4.6)とある通りである。
私たちも、かのピリグリム・ファーザーズが冬の試練を超えて感謝祭を捧げたように、私自身の感謝の日を定めて、これを聖なる日としたいと思う。(了)
牧師・宣教師. 吉田宏