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後藤徹著『死闘』を読んで - 我が父と母を想起する

◯徒然日誌(令和7年2月26日)  後藤徹著『死闘』を読んで - 我が父と母を想起する 

 

のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった(創世記19.7~26)

 

プロローグ 

 

最近、さすがに筆者も歳を感じるようになった。15年前、青汁と出会って以来、この青汁が自分の体質にあったせいか、以来一度も風邪を引くことがなかった筆者であるが、ここ半年の間に4回も風邪を引き、おまけに最後の風邪はコロナだった。やはり、免疫力が弱まったせいなのだろうか。 

 

しかし、先般、大和カルバリチャペルの初詣礼拝に参加して、84才で現役の牧師の若々しく力強い説教を聞いて、大いに鼓舞された。また78才のトランプ氏が、これから4年間、世界で最も過酷なアメリカの大統領を務めるということを考えると、筆者も負けてはおれない。もう一度、奮起してご奉公をしなければならないと心を新たにしたい。 

 

そこで今回、一つのけじめとして、一度、来し方の出来事、特に今まであまり触れることがなかった父と母、そして姉と兄のことを記しておきたい。これは、後述する後藤徹著『死闘』を読んで、改めて家族の意味を考えさせられたからに他ならない。何故なら、筆者が生まれ育ったこの家族は、生涯筆者を愛し、筆者のために尽くしてくれたからであり、愛し愛された家族に拉致監禁された後藤氏と対極にあると感じたからである。 

 

聖書に「うしろをふりかえって見てはならない」(創世記19.17)とあり、「ロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった」(創世記19.26)とあるように、うしろを振り返ることは「ご法度」である。しかし今回、過去への郷愁や執着という意味ではなく、自分自身の総括、即ち、過去を清算するという意味で、敢えてうしろを振り返ることにする。 

 

それにしても、自分の来し方を振り返る時、今の自分、つまり、聖書を読み、神学を研究し、UC信徒ととして神の前に立っているこのこと自体が、予想外の不可思議な出来事として写る。今、右手に原理講論を握り、左手に聖書を抱く筆者は、およそ思いもよらなかった、信じがたい人生を歩んでいるのである。 

 

【後藤徹著『死闘』の世界】 

 

さて、筆者の目の前に後藤徹著『死闘』(創藝社)という本がある。31才の時、家族(父、母、兄、妹)と脱会屋によって拉致監禁され、44才で解放されるまで、12年5ヶ月に渡って死闘の日々を余儀なくされた一人の信仰者の「祈りの物語」である。筆者はこの本を読んで、何よりも筆者とは真逆に見える家族の在り方に衝撃を受け、我が父と母のことを想起した。 

 

<脱会屋の犠牲になった後藤氏の家族>

 

無論、後藤氏の家族も後藤氏を愛していたことに変わりはないが、その愛の在り方が異常であり、それは脱会屋との出会いからすべての歯車が狂ったというしかない。後藤氏は兄から原理を紹介され信仰に導かれ、妹も導かれたが、その肝心の兄が先ず脱会屋の犠牲になり(兄は拉致監禁され棄教させられた)、次に妹が犠牲になった。そして、兄夫婦、妹が逆洗脳され、父、母、兄、そして脱会屋が一体となって後藤氏を拉致監禁し脱会を強いたのである。つまり、その動機がどうであれ、愛する家族が後藤氏を地獄に突き落としたというのである。一体、この平和な日本で、このような地獄絵が起こったということ自体が信じられないが、実際それは起こったのである。後藤家は何という因果の中にあるのだろうか。ここには、何か秘めたる神の深謀遠慮があるのだろうか。 

 

ちなみに「脱会屋」とは、UC信者を「保護」「マインドコントロールからの解放」という名目で強制的(暴力的)に脱会させることを業とする宮村峻氏、そして共犯者の守山諭牧師(荻窪栄光教会)、松永堡智(やすとも)牧師(新津福音キリスト教会)、川崎経子牧師(日本基督教団谷村教会)らの牧師、そしてそれを法的に支援する紀藤正樹弁護士ら霊感全国弁連の総称である。まさに負の連鎖による未曾有の人権侵害が白昼堂々と行われ、その被害者は4300人を越えるという。 

 

そしてこの脱会屋の卑劣さは、自ら手を汚すことなく、家族を洗脳し、家族に拉致監禁をやらせるように仕向けることである。つまり脱会屋は、親の情につけこんで法の網をかいくぐり、拉致監禁を教え込み、多額の報酬を家族からせしめるやり方をマニュアル化しているのである。 

 

<死闘>


『死闘』には、拉致監禁された時の生々しい状況、即ち、力づくで自力脱出することの難しさ(暴力で監禁)、擬装脱会の試み、断食での死をかけた抗議(2回の3週間の断食、1回の30日断食)、長期間に渡る過酷な食事制限という制裁、長期間狭い一室で閉じ込められることの精神的苦痛、無為に失われていく人生への焦り、などが赤裸々に生々しく語られている。そして何よりも心を打つのは、監禁下における「切実な祈り」である。生き地獄のような監禁下の中で、唯一正気を保てたのは「神への祈りと神の言葉」だったと、次のように記されている。 

 

「そう『祈り』だ。神にすがりつき、神と対話し、神から示唆を受ける。私は深刻に神に祈った。祈り始めて数日後、一つの示唆が与えられた。『信仰を表明し、正々堂々と戦え!』。旧約聖書の一節『強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない』(ヨシュア1.9)が浮かんだ」(『死闘』P82~83)

 

こうして後藤氏は擬装脱会を止め、堂々と信仰を告白した。そして、文鮮明先生の言葉「怨讐を愛せ」、イエス・キリストの言葉「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」という神の言葉が、家族・脱会屋への憎悪から後藤氏を解放したのである(P138)。そして、抗議のハンガーストライキの後、食事をろくろく与えない家族の仕打ちの中で、彼は神に祈った。


『死闘』には、「2006年12月、私は早朝祈祷を始めた。祈り続けて1ヶ月、私は神に愛されているのを直感して、なんとも言い難い安心感に満たされた」(P140~141)と記され、「苦境に立たされ、孤独の絶頂の中で、み言を唱え、必死に祈った。すると、ズタズタにされた心の傷が癒されていった。さらに再び立ち上がり、立ち向かう力が与えられた」(P99) と述べられている。


 何という限界状況の中での祈りの勝利だろうか。神はどん底で姿を現すという体験を筆者もしているが、後藤氏の体験はまさに「地獄に仏」であった。こうして後藤氏は、拉致から12年5か月たった2008年2月10日(44才)、突然、着の身着のまま解放されたのである。この日は後藤氏にとって、文字通り「霊と肉の復活の日」であった。 





そして、2015年9月29日、損害賠償を求めていた裁判で、最高裁は拉致監禁による人権侵害を認め、後藤氏は全面勝訴した。この裁判の被告はまさに後藤氏の家族と脱会屋だった。後藤氏もかっては父、母、兄から愛され、「家族の愛情を受けて育った」と記している。その愛する家族を被告席に立たせなければならない不条理は何という因果なのだろうか。なお、拉致監禁を単なる後藤氏の「引きこもり」だと公言した鈴木エイト氏も、2025年1月31日、東京地裁の名誉棄損裁判で敗訴し、後藤氏の主張が認められた。 

 

【我が父と母、そして姉と兄】 

 

それにしても、ことの良し悪しはともかく、筆者の父、母、姉、兄は後藤氏の家族と真逆であった。筆者は20才の学生時代に原理と出会って、家庭連合(UC)に献身して今日に至るが、未だかって家族から反対されたことは一度もない。そればかりか、信仰の道に走った信じがたい筆者を信じて、一貫して物心両面で支え続けてくれたのである。家族から拉致監禁され、強制改宗させられた信徒が数多いるというのに! 拉致監禁に至らなくても、反対の憂き目にあって辛い思いをした信徒が数多いるというのに! 

 

<父・母・兄姉>

 

筆者は、1946年9月2日、兵庫県丹波の片田舎(現在、兵庫県丹波市市島町竹田)で、父初太郎、母せきの末っ子として生まれた。父42才、母38才の時である。  長女の久美子は病気を患い12才で夭逝した。無論、筆者が生まれる前であるが、この久美子は几帳面で賢く、きれいな字で書かれた久美子の日記を読んだことがある。母は亡き久美子を偲んで、久美子の便を懐に抱き、その臭いを嗅いでいたという。 

 

次女の和心(かずみ)は28年前、胃癌で亡くなった(享年67才)。筆者と15才離れたこの姉は、生涯、よき理解者として常に筆者を擁護し、かばい、こよなく愛してくれた。姉の夫吉住和彦は中学校の教頭をし、温厚な優れた人物で、五月みどりに似た姉をこよなく愛していたが、自宅を新築して間もなく50才の若さで他界した。また、長男一郎を20才で交通事故で失った。こうして、後半苦労が絶えなかった姉だが、常に前向きに明るく生きた。姉が亡くなる前、亡き夫と「霊肉祝福」を受けたのが、せめてもの恩返しである。 この亡き姉に感謝と冥福を心から捧げたい。 

 

長男の忠雄は筆者より12才上の兄であり(現在90才)、スポーツ万能のイケメンで、小さいころから筆者を可愛がってくれた。今、丹波の実家で元気に生きている。そして次男の弘(ひろむ)は3才で脳膜炎で亡くなった。筆者が生まれる前の話しであるが、父によると丸々とした可愛い子であったという。つまり、この弘が生きておれば、筆者は生まれることはなかったのである。次男の弘が死ぬことによって、父母は筆者を生んだのであり(筆者は三男であるが、戸籍上は次男となっている)、父母にとっては子というより、いわば孫のようなものだった。 従って、父母の筆者への愛情は、祖母が孫を愛するような愛であり、躾もなく、また叱るということもなかった。

 

確かに、躾も規範もない溺愛だったが、筆者の潜在意識の中には、父母から愛されたという愛の情感だけはしっかり残っている。筆者が、信仰生活において様々な試練に遭遇しても、決して神を見失うことがなかったのは、父母から愛された愛の記憶のお陰であったと感謝している。筆者の周辺に、献身してみ旨の道で苦労した挙げく、結局、横道にそれたり、信仰を失ったりする信徒が少なくない。その信徒の多くは、神の愛が分からなくなって去っていくのであるが、よくよく聞いて見ると父母との間に何らかの葛藤(恨)を持っている。 

 

父母の愛は神の愛に通じるので、父母から愛された信徒は決して神を見失うことはない。逆に父母の愛が分からない信徒は、結局、神の愛も分からなくなるのである。だから、とにかく父母は、溺愛でも何でも、子供を愛しておかなければならない。但し、バンス副大統領やイーロン・マスク氏は、父母の離婚など極めて複雑な家庭環境の中で育っているが、しっかりした人物になっているので、一概には言えない。 

 

さて、筆者の父は学歴もない無学で小柄な人であったが、真面目な働き者で、近くの荻野家から婿養子として吉田家に入っていた。荻野家は天理教の熱心な信者であったが、吉田家に来てから天理教は封印し、吉田家の宗旨である日蓮宗身延派の菩提寺を大切にしていた。 

 

かっては日本庭園の庭師として生計を立てていたが、筆者が生まれる頃は専ら農業に従事していた。そしてこの父から、ついぞ説教じみた話を聞いたことはなく、専ら子育ては母親に任せていた。しかし、特定の信仰をしているわけではないが、家には仏壇の他、神だながあって、神々を大切にしていた。 

 

この父は、筆者が学業もそこそこにUCに献身して、み旨に邁進するようになってから、交通事故で亡くなるまで(享年78才)、一度も苦言を呈することなく、黙って見守っていた。かって上京して筆者が住む古ぼけたアパートに泊まった時、「鳶が鷹を生んだ」とぽつっと父が言ったことを思い出す。鳶(とび)が鷹(たか)を生むとは、ごくありきたりの夫婦から、人並み優れた子供が生まれることをいう。父は筆者のことを、何か普通と子と違うところがあると思っていたらしい。自分で言うのはおこがましいが、確かに、田舎では成績は常に一番だったし(田舎の学校なので大したことはないが)、その秀才ぶりは衆目が認めるところだった。 

 

その父が密かに願っていたことは、飛行機事故で亡くなって、筆者に賠償金を残すことだったという。そうしてその願望は交通事故死(ダンプに跳ねられた)という予期せぬ出来事によって成就するのである。1982年10月9日のことだった。筆者は、父の犠牲によって支払われた賠償金をそっくり相続した。母はこの賠償金を、自分のものにするのでもなく、また他の二人の兄姉に分けるのでもなく、すべてを筆者に渡したのである。今になって思うのだが、母は父の願いがどこにあるのかを知っていたかもしれない。そして、姉と兄も一切文句を言わなかった。こうして、筆者は父母、姉、兄に愛された。 

 

もちろん、この賠償金のお陰で筆者がどんなに助かったかは計り知れず、ポーランドの宣教に配偶者を送る際にも、大きな助けになった。父は78才で事故で死んだが、亡くなる日の朝まで野良仕事をしていたという。まさに死ぬまで病気一つしない健康な体の持ち主で、筆者は父の健康な体にあやかりたいと思っている。 

 

<母のこと> 

 

さて、ここで母のことを記しておきたい。父は近くの荻野家から吉田家に婿養子に入り、吉田家の一人娘の母と結婚した。母はあるお寺の僧侶と愛情を育んでいたが、吉田家を守るために、敢えて婿養子を迎えたのである。前述したように、父の実家荻野家は熱心な天理教の信者だったが、父は吉田家に入って天理教を封印し、専ら吉田家の檀那寺である日蓮宗身延派の檀家として尽力した。 

 

両親が離婚したため、母は継母と暮らすことになるのだが、家は貧しかった。彼女は一心発起して、当時は先端の技術であった洋裁を習得した。そのお陰で、筆者が生まれた時には自宅を改造して「洋裁店」を開いていた。母は父と違って、商才に長け、何よりも社交性があって交友関係も広く、何組もの結婚の仲人をした。母は信仰心はなかったが、文字通りの良心家で、戦後の貧しかった頃、年端もいかない子供が石鹸などの日用品を売りにきたときは、全品を買い上げて帰していた。 

 

母の商売のお陰で、筆者は高校、大学と進学することができた。決して裕福ではなかったが、小遣いに困ることはなかった。そして筆者の成績がいいことは彼女の誇りであり、彼女は筆者に並々ならぬ期待をかけ、人生で自らがやれなかったことを筆者に託していたのである。 

 

しかし、その筆者が怪しげな宗教団体にのめり込んだのである。おそらく、母の心境は心穏やかではなかったはずだが、父と同様、筆者の信仰に一切の文句を口にしなかった。そればかりか、筆者が献身してから長きに渡って、毎月のように送金してくれたのである。お陰で筆者は献身しても小遣いに困ることはなかった。 

 

1970年、筆者が京都の勝共連合事務局長として、WACL世界反共大会前夜祭を京都の円山公園で開催した時、かのニューヨークヤンキスタジアム大会のように、雨と嵐に見舞われたが、心配そうに雨に濡れながら立ち尽くしていた父と母、そして姉の姿が脳裏にこびりついて忘れられない。 

 

筆者は家庭を持ってから12回引っ越しをしたが、この父、母、姉は必ず見に来てくれ、不足な家具を揃えてくれた。また1982年、筆者がイギリスの宣教に行く時は、母は費用の足しにと100万円をそっと置いていってくれたのである。母と筆者は、まさに一卵性双生児のように思いが通い、肝心な時にはよく筆者の夢を見ていたといい、霊的に通じるものがあった。 

 

この母は、78才で脳梗塞で倒れ、闘病の末、1991年10月26日、83才で亡くなった。思えば筆者は、この母のために、この父のために、下着一枚、ネクタイ一本も買ってあげれなかったことを長い間後悔し、自責の念で苦しんだ。今なら温泉旅行でも招待出来るというのに。だからこそ、この両親のためにも、何が何でも信仰を全うし、結果を出さなければならない責務が筆者にはある。願わくば、これら両親や家族が再臨復活を遂げて、善霊となって協助したまわんことを祈念する。 

 

そうして、3年前、筆者の配偶者が葬られている富士宮市朝霧霊園の吉田家の墓の墓標に、父と母の名をしっかり刻み、毎年欠かさず墓参して祈りを捧げている。 

 

【後ろを振り返ってはならない】

 

こうして筆者は、今までほとんど触れたことがなかった父と母、そして姉と兄のことを、後藤氏の『死闘』に触発され、計らずも書き記すことになった。前述したように、聖書には「うしろをふりかえって見てはならない」(創世記19.7)とあり、また「思い煩いは神にゆだねよ」(1ペテロ5.7)とある通り、もはや過去の悔恨に囚われてはならない。人間には、多かれ少なかれ、後悔は誰にでもあることであるが、もはや過去を振り返ることはするまい。むしろ、しっかり前を向き、希望という名の目標に舵を切るべきである。 

 

筆者は『死闘』を読みながら、これは拉致監禁の顛末記というより、過酷な環境の中にあって、内面を神との関係で極限まで見詰めた「祈りの書」であり、やや大袈裟に言えは、ヴィクトール・フランクル著『夜と霧』の日本版ではないかと思う。ちなみに『夜と霧』は、ナチスのアウシュヴィッツ強制収容所を体験し生還したウィーンのユダヤ人で心理学者・精神科医の著者が、極限状況における人間の姿を心理学者の目で描いた実存の書である。実際、フランクルの両親と愛妻は、或いはガスで殺され、或いは餓死している。フランクルは、「ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする人間」を描き、そして「人は意味なく苦しみ、死ぬことは欲しない。どんな苦境においても生きることには意味がある」というメッセージをこの著書で書き記したと言われている。 

 

誤解を恐れずに申せば、後藤氏の家族は、ある意味で神に召された家族ではなかったか。現に家族・脱会屋を被告とした最高裁の判決で後藤氏が勝訴してから、急速に拉致監禁の被害が終息した。結果的に後藤氏の家族は、その後の拉致監禁に終止符を打つために、また拉致監禁がひどい人権侵害であることを明らかにするために、そして脱会屋の卑劣な行為を満天下に晒すために、神から用いられたと言えなくもない。 

 

原理講論に「悪霊人たちの再臨復活」という項があり、そこには、「悪霊人たちの業が、結果的に神の罰として、地上人の罪を清算させるような蕩減条件として立てられたときに、その悪霊人たちは、再臨復活の恵沢を受けるようになるのである」(原理講論P229)とある。後藤家の背後で操る悪魔の霊(脱会屋)が、家族を使って悪霊の業(拉致監禁)をなし、後藤氏がこれを甘んじて受けて勝利した時、家族も救われるというのである。ともあれ、数奇な運命に翻弄された後藤氏とその家族が、こぞって再臨復活の恩恵に浴することができるよう祈りたい。 

 

以上、『死闘』について論評し、それに啓発されて筆者の父と母についてありのままに述べた。これを記すことによって、筆者の過去の負債が晴らされ、未来に向かうことが出来るなら、これ以上の喜びはない。(了)                 

                           牧師・宣教師  吉田宏

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​ユニバーサル福音教会牧師
​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

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