◯徒然日誌(令和6年12月18日) 聖書の三大思想ー贖罪論の再考
神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました(ローマ3.25)
さて、今回の徒然日誌は、聖書の三大思想である「唯一神思想」「メシア思想」「贖罪思想」の内、最後の論考である「贖罪論」である。唯一神思想は「徒然日誌(令和6年10月16日) 神についての考察」で、メシア思想は「徒然日誌(令和6年10月23日) 聖書のメシア思想について」で、既に論じたところである。
文鮮明先生は、「聖書には一貫した統一性があり、メシア思想に貫かれています。これはこれら聖書記者の背後に、真の著者としての思想的核心の存在(神)がいるからです」(み言葉集)と語られた。即ち、聖書の真の著者は「神」であるというのであり、聖書が神の啓示の書であるという所以がここにある。そして聖書には、「唯一神思想」「メシア思想」「贖罪思想」「契約思想」「選民思想」「弱者救済思想」「預言者の批判精神」、などの聖書を貫く思想があり、筆者はその内、「唯一神思想」、「メシア思想」、「贖罪思想」を聖書の三大思想と位置づけたのである。
ちなみに、聖書学者の山我哲雄氏は、ユダヤ教(旧約聖書)の代表的な思想として、唯一神思想、メシア思想、契約思想、終末思想の4つを挙げ、これらをキリスト教は相続したと言われた。更に山我氏は、キリスト教はユダヤ教を母体とした宗教であり、これら4つの思想は相続したが、民族主義的な「選民思想」と「律法至上主義」は相続せず、退けたとも述べたられた。(著書『キリスト教入門』岩波ジュニア新書P14)
そして今回は贖罪思想、即ち「贖罪論」について筆者の所見を述べることにする。なお、「贖罪」という言葉は「復活」という言葉と並んで、キリスト教ないしはキリスト教神学の最も重要な概念であり、これが理解出来ればキリスト教が分かったということになる。
【贖罪論とは】
贖罪論とは、罪がイエス・キリストの十字架の血によって洗い清めらるという神学であり、その贖罪の恵みは神の一方的恩寵によるという。聖書に「また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました」(ヘブル9.12)とある通りである。松下正寿氏は、著書『文鮮明-人と思想』の中で、「この信仰、この神学こそが、とりわけプロテスタントの力の源泉になった」といわれた。 イエスの十字架は神の予定であり、十字架によるキリストの血は西洋文明の核になったというのである。
松下氏は、クリスチャンホームで育ち、牧師になることが運命付けられていたと述懐し、青少年期から罪の意識は強烈であったと告白した。そこで松下氏は、特に贖罪論について徹底的に研究し、藤原藤男著『贖罪論』やカール・バルトの『ロマ書』など、贖罪論に関する文献を片っぱしから読んだという。(『文鮮明-人と思想』P48~49)
<十字架の神学>
キリスト教は、しばしば「十字架教」とも言われる。キリスト教の信仰をイエスの十字架から理解しなければならないとする神学上の立場で、悲惨で恥ずかしく無意味とも思えるイエスの十字架上の刑死に、神意としての意味づけがなされ、聖書において預言された救いが、十字架のイエスにおいて成就するとの信仰理解にいたる。即ち、キリスト教の贖罪論とは、イエス・キリストが十字架上で死を遂げ、全人類の罪を背負って犠牲となり罪を贖ったとし、このイエスを信じる者は救われるという神学である。パウロが「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました」(ローマ3.25)と告白している通りである。
元来、贖罪という言葉は、犯した罪に対して償いをするという意味の法的な概念であるが、他人の負債を身代わりになって支払うこと、又は他人の罪を身代わりになって償うという意味になった。 即ち、古代オリエントでは、贖罪とは「他人に渡った奴隷を代価を払って買い戻すこと」を意味したが、人格的な神概念が明確であったユダヤ・キリスト教的な伝統においては、神に対して人間が犯した罪が償われて、両者の敵対関係が和解されることを意味するようになった。(パウロの神学)
内村鑑三は、「神の子の贖罪の恩恵による罪からの解放、これがキリスト教の本質であります」と語っている。(『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』岩波文庫P279)
<贖罪の象徴-祭壇と供え物>
さて、 モーセ、ソロモンによる幕屋・神殿建設以降、ユダヤ人は幕屋や神殿で祭司によって日々捧げられる動物の犠牲によって民族の罪が贖われると信じてきた。供え物には贖罪思想がその根底にあり、祭壇は供え物を媒介に「神的存在と交流する聖なる場」であった。
即ち、自分の力では償いをすることができない人間にかわって、犠牲が捧げられ、その代価によって失われたものがふたたび買い戻されるという意味で「贖い」といわれ、これが宗教的意味で用いられるようになった。特に出エジプト記は、イスラエル民族が奴隷から解放された「贖いの書」として位置付けられている。
贖罪思想は贖われるべき罪の観念が前提となる。即ち、捧げもの(生贄)による贖罪は「罪の意識」を前提としており、イスラエルにとって贖われるべき罪の存在は所与のものであった。また人間は、その良心において罪の内在(罪責感)を本能的に知っている。
旧約聖書には贖罪のための「祭壇」と「供え物」の伝統が記載されている。 旧約時代は地の産物や牛・羊・鳩などの動物が、贖いや感謝のための捧げものになった。「カインとアベルの神への供え物」(創世記4.3~4)、「ノアの祭壇と燔祭の供え物」(創世記8.20)、「アブラハムの祭壇と燔祭の捧げもの」(創世記12.7、創世記15.9)、「イサク献祭」(22.9)と「イサクの祭壇」(創世記29.25)、「ヤコブの祭壇」(創世記33.20、25.3)、「モーセの幕屋と燔祭の生贄」(出25.8~9、レビ記1~5)、「ソロモンの神殿と犠牲の捧げもの」(1列王記6.1~2)などがその例である。この動物のいけにえの償いにより罪の清算をする幕屋・神殿の祭儀法の中心は、贖罪思想、祭物思想であり、幕屋・神殿にて毎日朝夕いけにえが捧げられた。
ちなみに、幕屋にあって神社にないもの、それが祭壇 であり、神社には生け贄を捧げる祭壇はない。これはイスラエルと日本人の罪についての認識の違いから来ると思われる。ユダヤ・キリスト教は罪(原罪)を人間に深く内在するものと認識し、一方、日本の神道では罪は穢れや呪いが、塵埃(ちり・ほこり)のように人間に付着するものであり、従って祓いや禊(みそぎ)によって取り払うとものと考えた。
新約時代は、旧約時代と違って、牛や羊ではなく、イエス自身が「贖罪の羊」として「いけにえの供え物」になった(ルカ23.33)。即ち、旧約では、祭司により動物を犠牲にして贖罪がなされたが、新約では大祭司としてのイエスが自らを十字架で犠牲として捧げ、一度限り決定的な贖罪がなされて永遠に有効になったとする。従って、この十字架の贖いを信じる信仰によって、クリスチャンは罪が清算され新生されるというのであり、これが贖罪信仰である。
また、次第に内的な祭壇、内的な祭物がより重視されていくようになる。 「自らの体を聖なる生きた供え物として捧げなさい。これが霊的な礼拝である」(ロマ書12.1)とある通りである。更に万物割礼(レビ19.23)や肉身割礼(創世記17.10)に対して、心の割礼(申命記10.16)、心の律法が重視されていった。ヘブル書には「私の律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける」(ヘブル人8.10)とある。
<『長崎の鐘』に見る長井隆の贖罪思想>
かって筆者は、2022年7月8日、安倍晋三元首相が銃弾を受けて亡くなった夜、「安倍さんは、日本とUCを生み直すために『贖罪の羊』として逝かれた」とつれづれ日誌に記録した。またリンカーンはやはり銃弾に倒れて亡くなったが(1965年4月14日)、リンカーンの葬儀を司式した牧師は追悼の辞の中で、「約束の地カナンに入る直前に神に召されたモーセのように天へと引き上げられました。リンカーンはアメリカの『贖罪の羊』であり、キリストのように自身の血でアメリカを清めて国民に和解をもたらしました」と述べた。まさにこの二人は贖罪の羊であった。
内村鑑三は、1885年、アメリカ留学時代、エルウィン知的障害児養護学校にて看護人として働いたが、内村は、この期間はまさに贖罪生活そのもので、罪の償いとはどういうことかが分かったと述懐した。
そして『長崎の鐘』の著者永井隆は、長崎浦上天主堂に炸裂した原爆について深く洞察し、まさに浦上8000人のキリシタンは、日本を終戦に導く「贖いの供え物」だと同書で述べた。永井は、終戦と浦上潰滅との間には深い関係があるのではないか、つまり戦争という罪悪の償いとして、日本最高の聖地浦上が犠牲の祭壇に屠られ、清き子羊として選ばれたのではないかと、次のように問いかけたのである。 (『長崎の鐘』追悼文より)
「信仰の自由なき日本に於て 、迫害の400年殉教の血にまみれつつ信仰を守り通し、戦争中も永遠の平和に対する祈りを朝夕絶やさなかった浦上教会こそ、神の祭壇に献げらるべき唯一の潔き子羊ではなかったのでしょうか」
永井は、この犠牲によって、今後更に戦禍を蒙る筈であった幾千万の人々が救われたとし、次のように続ける。
「汚れなき煙と燃えて天国に昇りゆき給いし主任司祭をはじめ八千の霊魂! 誰を想い出しても善い人ばかり。潔き羔として神の御胸にやすらう霊魂の幸よ。主与え給い、主取り給う。主の御名は讃美せられよかし。浦上が選ばれて燔祭に供えられたる事を感謝致します。この貴い犠牲によりて世界に平和が再来し、日本の信仰の自由が許可されたことに感謝致します」
このようにカトリック信者である永井隆は、浦上天主堂は、神への「贖罪の羊」であり、その尊い犠牲によって戦争が終結し、日本が生まれ変わり、世界の平和が再来する機会となったと認識したのである。
【キリスト教神学と原理神学の救済思想】
さて、松下正寿氏は『文鮮明-人と思想』の中で、UCとキリスト教会との決定的な差は、贖罪論にあり、そこに「妥協の余地はない」と述べている(本書P44)。他には洗礼ヨハネをどう評価するか等々の違いがあるが、贖罪論の違いから見れば大したことはないという。松下氏は本書で次のように記している。
「既成教会は、神は世を救うためその独り子であるイエス・キリストを世に送り、肉体をとらしめ、十字架にかけ、その血と苦しみによって人類の贖いをされたと教える。それゆえ十字架の贖いを信じることにより完全に救われるというのである。一方、統一教会では、キリストによる人間の救いは、生きて地上天国を実現(神の御旨を完成)して初めて成就されるとしている。然るにユダヤ人はその不信のため却ってイエスを十字架にかけて殺してしまった」(本書P44)
つまりキリスト教会は、イエス・キリストが十字架で死ぬことは神の予定であり、イエスの十字架の贖いで、救いが完結したとしている。しかしUCでは、イエスは生きて神の国を創建すべきだったとし、十字架はユダヤ人の不信によるものであり、イエスの肉体はサタンが所有するものになった。従って、イエスの十字架の贖いは、霊的な救いに留まり、肉体には依然として原罪が残ることになった。故に、霊肉共の贖いの摂理をするために、キリストは再臨しなければならないというのである。この見解はキリスト教ではとんでもない異端的な神学であるが、松下氏は、全体としてUCの主張に軍配を挙げられている。
<贖罪と蕩減について>
UCの重要概念に「蕩減」という言葉がある。神の救いの摂理は「復帰歴史」であり、人類歴史は「蕩減復帰歴史」であるという(原理講論P278)。では、蕩減と贖罪はどこが違うのだろうか、あるいは同視できる言葉だろうか。確かに蕩減も贖罪も共に「償い」という意味があり、この点においては同じ概念である。
原理講論には「蕩減とは本然の位置と状態を復帰するためには、その必要を埋めるに足る条件を立てなければならない。この償いの条件を立てることを蕩減という」(P273)とあり、そして「蕩減条件は、離れるようになった経路と反対の経路を辿って立てる」とされている。このように原理には「蕩減」というキリスト教にはない重要概念がある。蕩減とは平たく言えば、失敗したものをやりなおし、「過去を清算してもと返す」ことである。
前述のように、蕩減と贖罪には「償い」という共通要素があるが、蕩減は贖罪を包摂した概念と言えるだろう。つまり贖罪は蕩減の一部で、しかも最も重要な構成要素である。また、贖罪は受動的だが、蕩減は能動的で「人間の責任分担」を重視する。そして蕩減には期間(成長期間)の観念があるが、贖罪にはこの観念はない。
旧約時代は神の責任分担時代、新約時代はイエスと聖霊の責任分担時代、成約時代は聖徒(又は父母)の責任分担時代と言われる。前記したように蕩減思想には、人間自身が条件を立てること、即ち人間の責任分担を強調する傾向があるが、聖書の贖罪観念には他力的な神の恵みをより強調する傾向がある。無論、人間の責任分担(5%)などは神の責任分担(95%)と比べて極微々たるものだが、文先生は 「罪を犯した者がその罪を蕩減しなければならない」と明確に言われた。「天は自ら助くる者を助く(セルフヘルプの精神)」という至言の通りである。
文先生は、責任分担について、次のように言われた。
「責任分担がなければ『蕩減復帰』という言葉はありません。人間は責任分担を果たしていく過程で堕落しました。神様が人間に責任分担を設定しなかったならば、蕩減復帰という言葉は出て来なかったでしょう。人間が完成すべき責任分担を自ら壊してしまったので、その賦与された責任を果たしていかなければならないのです」(天聖経P430)
また、次のようにも言われた。
「蕩減復帰はどういうふうにやるべきか。自分一人では否定できない。迫害を通して否定された条件圏に立たせて、神と共に宗教が行くべき道である。だから、迫害は絶対に必要である。迫害を通さずしては神に帰る道はない」(御旨と世界-全体蕩減P851)
松下氏は著書の中で、「神は大部分のことをされるが、残りの5%の責任分担については神すら干渉できない。その5%こそ人間尊厳の証明である」(『文鮮明-人と思想』P91)と述べている。
なおキリスト教が殉教の歴史になった理由は、蕩減という原則から説明できる。人類はイエスを憎んで十字架につけたので、イエスを愛して「自ら十字架を背負うて従っていく」という逆の経路の道、即ち蕩減条件を立てなければならないというのである。ここにキリスト教が殉教の歴史になった理由があり、神を捨てたので、神に捨てられても従う立場を
蕩減復帰(マタイ27.46)しなければならないのである。
<霊肉の贖罪>
松下氏は、著書『文鮮明-人と思想』の中で、福音主義の贖罪論の落とし穴について述べている。曰く、「神の恩恵という最大の幸福を得るためには、罪の贖いを受けなくてならない。罪が贖われるためには罪の意識がなくてはならない。罪の意識を強くするためには罪を犯していなくてはならない。ゆえに罪は恩恵である」といった落とし穴であり、高倉徳太郎はこの偏った循環論的贖罪論の落とし穴に落ち込んで自殺したという(『文鮮明-人と思想』P109)。つまり、キリスト教贖罪論の限界である。
原理講論は、「十字架の贖罪の恩賜がいかに大きいかはキリスト教歴史が示している」とした上で、「しかし、それが、我々の原罪までも完全に脱がせてくれて、その結果、創造本然の人間にまで復帰せしめて、地上天国を成し遂げるまでにはいかなかった、ということもまた事実である」(P182~183)と述べている。パウロ自身「内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」(ロマ書7.22~25)と告白している。
では十字架による贖罪の限界は、どの程度であるかが問題となる。原理講論は次のように述べている。
「神は人間を創造されるとき、土で肉身を創造され、そこに命の息を吹き入れて生霊となるようにされた(創世記2.7)。このように、霊と肉から創造された人間であるので、堕落もまた霊肉共に起きてきた。従って、救いも霊的救いと、肉的救いとを共に完成しなければならないのである。イエスがメシヤとして降臨された目的は、この救いの摂理を完遂なさるためであったので、彼は霊的救いと肉的救いとを共に完成しなければならなかったのである」(P186)
しかるに、イスラエルの不信でイエス・キリストの体はサタンに奪われたので、十字架による贖罪の役事は「霊的贖罪」に留まり、肉的贖罪は再臨まで待たなければならなかった。肉体はサタンが所有することになったからである。従って、霊肉の完全な贖罪を成就するためにキリストは再臨しなければならない。そして人間を生み直すのは父母でなければならないので、再臨は真の父母であり、霊肉救いの役事はこの「真の父母」によってなされる。
文鮮明先生は、神の命令により、1946年6月6日から1950年10月まで、北朝鮮でキリスト教の蕩減復帰の道を歩まれ、その4年4ヶ月の間、大同保安署(1946年8月11日~11月21日)、平城内務署・平城刑務所(1948年2月2日~5月20日)、興南監獄(1948年5月20日~1950年10月14日)と3度の牢獄を通過された。特に、1948年5月20日、平壌刑務所から興南監獄(窒素肥料工場特別労務者収容所)に移送され、1950年10月14日までの約2年4ヶ月間、興南監獄にて文字通り地獄の生活を余儀なくされた。ナチスのアウシュヴィッツよりもひどいこの間の監獄生活は、『真の御父母様の生涯路程2』、『平和を愛する世界人として』(P105~116) 『再臨主の証明』(P155~190)に詳述されている。
そしてすべての内的条件は満たされ、遂に文先生は、1950年10月14日未明、マッカーサー率いる国連軍に解放されたのである。この「以北出監日」は、十字架に架かりながら、死を乗り超えて生きて霊肉の贖罪の条件を成就され、復活を遂げられた日であり、まさに「成約のイースター」である。そして1960年、韓鶴子女史を配偶者に迎え、結婚して文字通り「真の父母」となられ、霊肉贖罪・重生の役事をされるようになったのである。
私たちは、この真の父母を再臨のキリストとして受け入れ、真の父母の霊肉贖罪(救い)を固く信じることによって、完全な救いに与れるのである。それは、イエスの十字架の贖罪(霊的贖罪)と復活を信じ、イエスをキリストとして受け入れることによって、霊的贖罪の恩寵に与れるのと同様である。
即ち私たちは、十字架の代贖を「信ずる」というごく小さな蕩減条件を立てることにより、イエスと同一の死を経て再び生きたという条件を立てたと見なされて、救いの大いなる恩恵を受けるようになるのである。また、我々は数滴の水を頭の上から注がれ、洗礼を受けたという蕩減条件を立てることにより、イエスと聖霊によって重生したという立場を復帰することができるのである。そして聖餐式において一切れのパンと、一杯のぶどう酒をとるだけで、我々はイエスの聖体を食べたという、より大きな価値の恩恵を受けるのである(原理講論P275)。それはまた、再臨主、即ち真の父母の霊肉の役事においても同様である。
<贖罪と復活>
最後に贖罪と復活について言及しておく。
前述したように「贖罪」と「復活」はキリスト教教理の核心である。イエスは、死によって人類を罪から解放し、復活によって新しい命を与えられた。同様に、真の父母は生きて十字架を越えて復活し、霊肉の贖罪と永遠の命をもたらされたのである。この真の父母の贖罪と復活を信じる信仰によって、私たちは罪から解放され永遠の命に至ることが出来る。
ちなみに、西方教会では十字架の贖罪を強調するが、ギリシャ正教(東方教会)では、罪よりも救い、十字架よりも復活を重視するので、祭りでは西側のように降誕祭(クリスマス)よりも、復活祭(イースター)が最も重要とされている。
文鮮明先生は、『イエス様の生涯と愛』(光言社)の中で、本来、キリスト教の教理は、十字架ではなく復活の教理であると指摘され、次のように言われている。
「本来、キリスト教の教理は、十字架ではなく復活の教理です。イエスが復活することによって救いが成立したのであって、死ぬことによって成立したのではありません。キリスト教は復活の宗教なのです。亡くなって3日後に復活されたイエス様の復活の権能によって、私たちは救いを受けるのです。復活後の40日期間の基盤の上に、初めて新たな第二イスラエル、即ちユダヤ教に代わる新しいキリスト教が出発したのです」(『イエス様の生涯と愛』P275~276)
こうしてキリスト教は、まさにイエスの復活から始まったのである。しかし尚、十字架による贖罪の教理はキリスト教の歴史に燦然と輝いている。
以上、唯一神思想、メシア思想に引き続き、今回、贖罪論について論考した。これで聖書の三大思想の論考を終えることになる。読者の皆様の何らかの参考になれば幸いである。(了)
牧師・宣教師. 吉田宏