◯徒然日誌(令和6年9月18日) 詩篇51篇に見るダビデの悔い改めー預言者ナタンの叱責を受け入れる
神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません(詩篇51.17)
はじめに
いよいよ9月12日から自民党総裁選挙が始まった。これまで最大の9人が立候補するという乱戦であり、派閥解消により政局は戦国時代を迎えた。令和6年9月4日の徒然日誌「トクビィル、民主主義の堕落を予告する」でも言及したが、民主主義の欠陥が顕になってポピュリズムが横行し、日本の民主主義は限りなく衆愚政治に近づいている。
実は筆者は、上記9月4日の徒然日誌で、政治アナリスト伊藤貫氏の国際政治分析を吟味し、特に伊藤氏の「トクビィル論」に大いに共感して論評した。しかし、ここで伊藤氏の「岸信介批判」及び「UC批判」の間違い(誤解)を糺しておかなければならない。伊藤氏は最近の動画「アメリカと対峙した中川昭一、アメリカに追随せざるを得なかった安倍晋三」の中で、岸信介氏と佐藤栄作氏、そしてUC(旧統一教会)と勝共連合を批判したのである。
伊藤氏は、岸信介氏は戦犯で巣鴨刑務所に拘束されたが、笹川良一氏や児玉誉士夫氏と共にアメリカ側に寝返ったと明言した。そしてCIA(アメリカ中央情報局)の手先となって国家の機密情報を流し、見返りに無罪を勝ち取り、CIAから数百億円の政治資金を獲得したという。結局、岸・佐藤の両氏は、戦後の日本の政治を、アメリカの従属状態から抜け出せない状況にしてしまったとした。
そして、UC・勝共連合を腐敗した「反日的犯罪組織」と断定し、この腐敗したUC・勝共連合が日本に進出するのを岸氏は引き入れて援助したという。また岸氏はUC教祖の文鮮明師がアメリカのダンベリー刑務所に拘束されている時、文師は人格者であると弁明し、レーガン大統領に早期釈放の意見書を書き送り、そして見返りにUCから金銭の受領したとしたというのである。また山上哲也被告は、UCを擁護する岸氏に反感を抱き、孫である安部晋三氏を暗殺したという。
しかし、これら伊藤氏のUC・勝共連合批判には何の根拠もエビデンスもなく、一方的な決めつけにしか過ぎない。伊藤氏は、UCのどこが反日なのか、どのように腐敗しているの、何をもって犯罪組織とするのか、についての説明が一切なく、伊藤氏の誤解か、または悪意の歪曲に基づく悪質なプロパガンダというしかない。まさに左翼や反対派の全国弁連の主張と瓜二つである。また岸氏に金銭を渡したという証拠も事実もなく、伊藤氏の妄想であり、これは名誉棄損である。伊藤氏は、UC問題に限らず、岸信介氏への偏見や国際政治の分析においても、妄想が妄想を呼ぶという陰謀論の罠にはまり、客観性を装いながら実は極端な主観主義に陥いるという傾向がある。即ち、伊藤氏の主張は玉石混交であり、注意深く観察し、取捨選択する必要がある。
【ダビデの栄光と堕落ーサムエル記より】
さて今回は、ひととき世俗世界の喧騒を離れて、旧約聖書詩篇51篇の世界を訪ねていくことにした。イスラエルの王ダビデの歌である詩篇51篇は、姦淫と殺人の罪を犯したダビデの「悔い改めの歌」として有名である。
<ダビデの栄光>
ダビデ(前1040~前961)はイスラエルの歴史において、最高の王として評価され、卓越した賢い国王として旧約聖書に描かれている。ダビデはユダヤ人のヘブライ王国の全盛期の王(在位:前1000~前961頃)としてパレスチナ全域を40年統治し、エルサレムを都とした。イスラエルの王に即位し、ペリシテ人やカナン人を征服して都のエルサレムを建設し、繁栄の基礎を築いた。ダビデとは「愛された者」という意味である。
外敵から守るために、民の王を求める要請に従って預言者サムエルはサウルを王として油を注いだ(2サムエル10.1)。「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」(士師記21.25)とある通り、当時イスラエルはアナーキーの状態にあったのである。
王として立てられたサウルであったが、やがて神に背き堕落する(1サムエル15.1~34)。神の命をうけたサムエルは新たな王を見出して油を注ぐべく、ベツレヘムの羊飼いエッサイなる人物の元に向かった。そこでサムエルはエッサイの第8子で羊飼いの美しい少年ダビデに目をとめてこれに油を注いだ。その日以降、主の霊はサウルを離れてダビデに激しく臨むようになった。
「サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。主の霊はサウルを離れ、主から来る悪霊が彼を悩ました」(1サムエル16.13~14)
こうしてサムエルはダビデに油を注いでイスラエルの王として任命した。ちなみにダビデの油注ぎは、前記の他、ヘブロン王即位の油注ぎ(1サムエル2.4)、イスラエル王即位の10部族長老たちによる油注ぎ(1サムエル5.3)の3度がある。ちなみに「油を注ぐ」とは、神がある人を選んである務めに任職することを表しており、ヘブル語のメシアという言葉は、「油注がれた者」という意味である。旧約聖書の時代には、王、預言者、祭司という職務に任職される際に油注ぎが実施され、油注ぎは神に献げられ、聖められることを意味した。
こうしてダビデがヘブロンで即位したのは30歳のときであり、7年6ヶ月間、ヘブロンでユダを治め、33年間、エルサレムでイスラエル全土を統治した。ダビデはペリシテ人だけでなく、モアブ人、アラム人、エドム人、アンモン人も打ち破り、これらを配下に収めたのである。なお、少年ダビデが、ペリシテの巨漢ゴリアテを投石で撃ち殺した逸話は有名である(1サムエル17.50)。
そして更に重要なことは、ダビデの子孫から王の王、即ちキリストが誕生することが旧約聖書に預言されていることである。
「あなたが日が満ちて、先祖たちと共に眠る時、わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。彼はわたしの名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう」(2サムエル7.12~13)
「わたしはわたしの選んだ者と契約を結び、わたしのしもべダビデに誓った、『わたしはあなたの子孫をとこしえに堅くし、あなたの王座を建てて、よろずよに至らせる』」(イザヤ89.3~4)
また新約聖書においても、「キリストは、ダビデの子孫から出ると、聖書に書いてある」(ヨハネ7.42)とあり、更に、「神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られた」(使徒行伝13.23)とある。
このようにダビデとその子孫はキリストを生む神の聖なる血統と位置付けられているのであり、マタイの福音書1章に「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」として次の通り書かれている。
・アブラハム→イサク→ヤコブ→ユダ→パレス→エスロン→アラム→アミナダブ→ナアソン→サルモン→ボアズ→オベデ→エッサイ→ダビデ
・ダビデ→ソロモン→レハベアム→アビヤ→アサ→ヨサパテ→ヨラム→ウジヤ→ヨタム→アハズ→ヒゼキヤ→マナセ→アモン→ヨシヤ
・ヨシヤ→エコニヤ→サラテル→ゾロバベル→アビウデ→エリヤキム→アゾル→サドク→アキム→エリウデ→エレアザル→マタン→ヤコブ→ヨセフ(イエス母マリアの夫)。
この男性中心の系図に、奇しくも4人の女性が出てくる。ユダの嫁タマル、サルモンの妻ラハブ、ボアズの妻ルツ、そしてダビデの妻バテシバ(マタイ書には「ウリアの妻」と書かれている)である。これらの女性は皆異邦人で普通でない結婚をして子供を孕み、しかもメシアにつながる家系を形成した。ちなみにダビデの曾祖母は、ルツ記で有名なボアズの妻ルツである。
<姦淫の罪>
しかし、イスラエルを統一して華麗な成功を修め、またメシアの家系を形成する祝福されたダビデであるが、後半、重大な罪を犯すことになる。家臣ウリヤの妻であるバテシバが水浴びしているのを見て、彼女を見初め、宮中に呼び出し姦淫を犯して妊娠させたのである。
即ち、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、宮殿の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの美しい女性が、(月のものを清めるために)体を洗っているのを見た。エリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバである。ダビデは使者をつかわして、その女を宮殿に引き入れ、その女と交わったのである。こうしてバテシバを妊娠させてしまった。(2サムエル11.1~5)。
おそらくバテシバとの逢瀬は一度や二度ではなかった筈である。創始者も、イエスの母マリアと祭司ザカリヤの逢瀬は何度かあったと語られことがある。従ってバテシバにも責任 ありと言えなくもなく、このダビデとバテシバの関係には、深淵かつ霊妙な神の摂理があるのかも知れない。
<殺人の罪>
バテシバの夫ウリアはダビデの勇敢な家臣であり、当時アンマン人(ヨルダン)との戦いの戦場にいたのである。ダビデはバテシバを孕ませたことを隠すために、戦場の夫ウリアをエルサレムに呼び返し、家に帰って妻バテシバとゆっくりするように命じた。しかしウリヤは、「神の箱も、イスラエルも、ユダも、小屋の中に住み、わたしの主人ヨアブと、わが主君の家来たちが野のおもてに陣を取っているのに、わたしはどうして家に帰って食い飲みし、妻と寝ることができましょう」(2サムエル11.11)と言って城門の主君の家来たちと共に寝て自分の家には下って行かなかった。まさにウリアは見上げた戦士である。
やむを得ず、ダビデは前線の司令官ヨアブにあてて手紙を書き、ウリヤの手に託してそれをヨアブに届けた。なんとその手紙には、「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼の後から退いて、彼を討死させよ」と書いあったというのである(2サムエル11.15)。そして主君ダビデの指示通り、ヨアブは最前線の最も激しい戦地にウリアを送り、もくろみ通りウリアを戦死させたのである(2サムエル11.17)。
ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のために悲しんだ。そしてその喪が過ぎた時、ダビデは人をつかわして彼女を自分の家に召し入れ、彼女を妻とした。彼女は男の子を産んだが、しかしダビデがしたこの事は主を怒らせたのである。(2サムエル11.26~27)
こうしてダビデは、臣下を自分の欲望の犠牲にして殺人の罪を犯し、律法に違背した。
<預言者ナタンの糾弾とダビデの悔い改め>
このダビデの罪に対して、激しく糾弾したのが預言者ナタンである。神はナタンをダビデのもとに遣わされ、ダビデの姦淫と殺人の罪を厳しく指摘された。
ダヴィデ王を諫める預言者ナタン(アールト・デ・ヘルダー画)
「どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう」(2サムエル12.9~10)
このナタンの追及に、普通なら王の権力をもってナタンを処刑にしてもいいところだが、意外にもダビデは率直に罪を認め、ナタンの言葉を受け入れたというのである。
「ダビデはナタンに言った、『わたしは主に罪をおかしました』。ナタンはダビデに言った、『主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう』」(2サムエル12.13~14)
ダビデは詩篇32篇の中で、罪を言いあらわさなかった1年間、骨が砕けるほど苦しんだと告白した。
「わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた」(詩篇32.3~4)
そして遂にナタンの前に罪を告白し、ダビデは解放されたのである。
「わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、『わたしのとがを主に告白しよう』と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた」(詩篇32.5)
しかし、「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」(ガラテヤ6.7)とある通り、罪の報いはダビデ自身が負わなければならない。
バテシバとの第一子は誕生7日目に病死し(但し第二子はソロモンである)、また、家族内での近親相姦と兄弟殺しの悲劇が発生した。即ちダビデの長男アムノンが異母妹である処女のタマルを強姦し、それに怒ったダビデの三男アブシャロムは、2年後に長兄アムノンを暗殺するという事件が起きた(2サムエル13.1~14.33)。更にアブシャロムは後宮に入りダビデの側女を辱しめ(ダビデには複数の妻と何人かの側女がいた)、そして謀反を起こした(15.1~37)。ダビデは一旦都落ちを余儀なくされたが、結局この反乱は鎮圧されアブシャロムは殺害されることになった。こうしてダビデは内憂外患に苦しんだのである。
【詩篇51篇】
さて詩篇51篇はダビデの悔い改めの歌として有名である。ダビデは預言者ナタンの糾弾を受け入れ、自らが犯した姦淫と殺人の罪を心から悔い改めて告白したのである。「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである」(ローマ10.10)とある通りである。そしてここにダビデの偉大さがある。
「神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。・・・わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました」(詩篇51.1~4)
そして自らが生まれながらに罪(原罪)を背負った罪人であることを告白し、身を浄めて下さるよう神に祈るダビデであった。
「見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。・・・ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう」(詩篇51.5~7)
そして不義をぬぐい去り、清い心と聖なる霊を与えてくださいと祈念し、砕けた悔いた心を神に捧げるダビデがいた。
「あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげてもあなたは喜ばれないでしょう。神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません」(詩篇51.16~17)
この点サムエルも「見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる」(1サムエル15.22)と言っている通りである。こうして悔い改めたダビデだったが、詩篇32篇では、贖われ救われた感謝と喜びの歌を謳う。
「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。・・・わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、『わたしのとがを主に告白しよう』と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた」(詩篇32.1~5)
そしてダビデは許された喜びを詩に表した。
「主に信頼する者はいつくしみで囲まれる。正しき者よ、主によって喜び楽しめ、すべて心の直き者よ、喜びの声を高くあげよ」(詩篇32.10~11)
以上、最悪の罪を犯したダビデが、悔い改めによって神に許され、救われた物語を概観した。私たちは詩篇51篇を通して、悔い改めの力、回心による恵みの大きさを悟らしめられる。また詩篇32篇では贖われることの喜びを実感することができる。こうしてダビデはイスラエルの繁栄を築き、メシアを生む家系として神に認められたのである。
しかし一見その優れた軍事的・政治的手腕をもってイスラエル王国の黄金期を築いたように見えるダビデであるが、貧しい羊飼いの少年時代から神により頼み、ひたすら神の導きに従って生きた人生だった。苦難の中で神を信頼して祈り、神殿建設の準備のために労を惜しまず、恐ろしい罪を犯してしまったときは神の前にへりくだって赦しを受けた。そしてバテシバとの間に生まれたソロモンがイスラエルの3代目の王となった(列王記1.28~40)。ダビデはソロモンに戒めを残して世を去り、「ダビデの町」に葬られた。(了)
牧師・宣教師 吉田宏